生きてえのだ

花と虫と海、それとさんぽが好き。



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泳ぎ切る

 わたしは泳ぎが達者である。しかし水に濡れるのは大嫌いだ。赤ん坊の頃から風呂に入るのを泣いて嫌がったそうで、そのことを両親は気にしていたらしい。そこでわたしをプールに連れて行っては何度も投げ込んだのだという。その話を初めて聞いたときは「可哀そうだなあ」と他人事のように思ったものだが、とにかく泳げるようにはなったので、今では御の字だと思うようにしている。

 

 そんなこともあり、高校時代は一年間だけ水泳部に在籍していた。入部するつもりは毛頭無かったのだが、先輩のしつこい勧誘を断りきれなかったのである。種目はフリー、つまりクロールを専門としていた。本当は平泳ぎをやりたかったのだけれど、この頃から膝を壊してしまい、その手術をした影響で平泳ぎのキックができなくなっていた。

 練習は厳しかったが興味深いものも多かった。手のひらにパドルをはめて水をつかむ練習はカエルになった気分だったし、足にフィンを装着したときはぐんぐんと、まるでイルカにでもなったような気分で縦横無尽に泳ぎ回った。

 そしてなにより応援の掛け声が面白い。水泳はれっきとしたチームスポーツだ。だから個人種目においてもチーム一丸となって応援をする。「セイ」「セイ」「セイ……」と声を枯らして声援を送る。泳いでいる最中、水中では聞こえないのではないかと思うかもしれない。だがちゃんと届いているのだ。息継ぎをする時、ターンをして浮き上がる時、確かに聞こえる。わたしは辰巳国際水泳場で泳いだことがあるが、あのような大きな会場でも声援が聞こえてきたことに心動かされたのを憶えている。

 

 あの夏。水に濡れることが大嫌いなわたしが、「腐ったミカン」と担任に揶揄されていたわたしが、チームの一員として泳いだ理由は何だったのだろう。厳しい練習を終えた後に流れる、気だるい午後のひと時。ビート板を並べて甲羅干しをしていた。そんな時間がいつまでも、いつまでも続いて欲しいと本気で思っていた。

 

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Esperanza Spalding | I Know You Know

 

緑の石橋

 わたしは水の流れる音がどうにも好きらしい。波音、川の流れる音。その時ばかりは耳栓を外して聴き入ってしまう。身体が自然と受け入れてくれる。

 気持ちが乱れそうな時、よく近所の沢に行って気分転換をする。そこには小さな石橋がかかっていて、いつも橋の中ほどから手すりに顎を乗せ、川面を覗き込む。落下防止のネットには苔がびっしりと生えていて、緑の深いカーテンに包まれているようだ。季節がら桜の花びらが絶え間なく流れていき、淀みではピンクの歯車がゆっくりと回りだす。桜の枝がどっしりと目の前まで伸びていて、間近で花を観察していた頃が懐かしい。何でも触ってみる癖があり、ちょんちょんと何度もつついていた。わたしなりの花見である。

 ただしこの橋、道幅がとても狭い。車がかろうじて通れるのだけれど、その度に橋のたもとまで戻らなくてはならない。意外に往来があるので何度も行ったり来たりを繰り返す。また、いつまでも橋の手すりにかじりついているからなのか、怪訝な顔をされることも少なくない。

 でも良いのです。わたしはこの沢を愛している。だからふり返る暇がない。行ったり来たりは手間のうちには入らない。それでも追われるのであれば、その時は乙女椿を見に、これまたとっておきの場所に行けばよい。愛着はあれど執着はしない。これは難しいことではあるが、常にこころに留め置きたいと思っていることである。

 

 


Zimpraise Feat Oliver Mtukudzi (Hear Me Lord)

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刃先の届かない距離で

 例えば周囲の人間だれもが晒しを巻いていて、その下に包丁を仕込んでいるのに、自分だけ身ぐるみ剥がされたような絶対的隔絶。近づかれるだけで震えてしまう。震えるのはね、きみが弱いからだよ。と言い包められていく。「大丈夫、切りつけないよ」と言われたところで、それは「持っている者」の言い分でしかない。

人混みに慣れる、慣れない。

だれかを信じる、信じない。

あなたを愛せる、愛せない。

そういう問題にすり替えられてしまうことが、わたしは悲しい。

 

 


Alfredo Rodriguez and Richard Bona "Raíces (Roots)"

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